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出版後の髪の毛が抜け切りそうな日々について
A友人たちからの洗礼 私は1985年に出版した2作目を最後に、友人たちには本のセールスを行っていない。
「売ること」よりも「読んでもらうこと」の重要さを知ったからだ。つまり、この後に知り合った友人たちは、私が本を出版しているなんてことはまったくといって知らない。本を出版している自分を知ってもらうより、友人たちの知らない密かな顔を持つことが、ちょっと気持ち良かった。
しかし、今回、迷った挙句に、その「宝」を捨てることにした。ちょっとでも本を多くの人に拙著を読んでもらいたいと思ったのだ。
そこで出版直後、取引先やこの本が向いていない友人などを除いた180人に、往復ハガキで新刊案内を出した。
180人全員が購入してくれるなんて甘い考えは最初から抱いていなかったが、複数冊購入してくれる友人や追加を考えるとトータルで180部は売れるのではと予想した。
DM発送後、1人の友人から折り返しすぐにメールで3部注文が入ったので、これは予想以上の応援が得られると思ったものの、結果は、わずか27人で計54部だった。「(3150円)高いので買えない」というストレートな返事もあった。
今回の作品は本の売上にもっとも影響を与えるパブリシティーに対する反応も鈍く、強い焦りを感じていた時だけに、友人たちからの洗礼は余りに身に沁みた。
恩着せがましいことを言うのは自分自身とても情けなくてイヤだが、同じように表現活動の道を志している後輩たちからアドバイスやノウハウを乞われた時、それらを惜しみなく伝授した連中にDMを無視されたことは特に悲しく残念だった。
自分にとっては大切な作品であっても、周囲にそれを理解してもらうことは容易でないことを改めて思い知った。
友人の知らない顔は、やはり「宝」として持っておくべきである。
友人たちからの洗礼は、何もかもやる気も失せさせ、仕事も手につかなくなるくらいの厳しいものだった。
そんな腐りかけていた気持ちの私を救ってくれたのは、85年に拙著を応援してくれた高校時代の友人T君からの返信ハガキだった。DMの返答も途切れてしまった頃にやってきた。
「いろいろな人にあたってみました。とりあえず3冊注文します」。
実は、T君とはずいぶん御無沙汰で、過去の購入者リストから不躾と躊躇しつつDMを出したのだ。不義理している私を応援してくれる友人1人の存在は、DMの返答率で消沈していた私の気持ちを吹き飛ばしてくれた。
諦めてはいけない。