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さて、2004年9月末に書店に並んだ拙著『いつかモイカ河の橋の上で』(第三書館刊)。
夏休み前の通信簿ならぬ2005年7月時点における売上成績が発表された。
今回の作品、新刊配本分として取次が引き受けてくれたのは初版部数の半分。
そして、その新刊配本に対する返本率は94.6%を記録した。
主要取次5社のうち最も返本率が低くて86.0%。最も高かったところは97.5%にも達した。
もちろん、客注(注文分)などもあるので、多少の売上はあるが、それにしてもショックな数字である。
弁解しておくが『いつかモイカ河の橋の上で』、前述したように、まったくの無風状態ではなかった。
発売2週間後の「奈良新聞」書評をはじめ、「中国新聞」「日刊ゲンダイ」「神戸新聞」「朝日新聞(兵庫県版)」「アサヒカメラ」「日本カメラ」「鉄道ファン」などで紹介された。特に二大写真誌のひとつ「日本カメラ」では1ページの特集という高い評価を受けることができたうえ、編集部の御好意で、記事に私宛への連絡先住所と電話番号を併記していただいたにもかかわらず、問い合わせはゼロだった。ちょっとやそっとの記事や評価では、1日に200タイトルもの書籍が発行される今日、その中から群を抜くなんてことは不可能に近いことを改めて思い知らされた。
私自身も知恵を絞って時間があるときには営業活動しているが、書店でのデータ管理が進む今日、もはや引導を渡された状態である。
返本率を聞いて、ショックで寝込みそうになった私に、第三書館の社長さんは「イチローばかりが野球でない。気長にやりましょう!」と言う。
これから特定の書店に対してではあるが常備本としての再出荷が始まる。
しかし、道は厳しいものだろう。
これが出版界における無名な著者の現実である。
中野吉宏